道路話ヒストリエ第一回「山梨県道33,18号線~秘境が秘境でなくなった話~」
こんにちはこんばんは。今回は「道についての日記」の番外編という事で「道路話ヒストリエ」を…
今回の話はとある保健体育科目の教科書に載っているようなお話です。そう…あの記述はこの道路が要因の一つでした。「山梨県道18号上野原丹波山線」と「山梨県・東京都道33号上野原あきる野線」の2路線です。
昔々、ユズリハラと呼ばれた村にある者がやってきました。名を古守という男であった。その男は上野原の町から延々道を歩いてユズリハラに来たのである。その男はユズリハラで生活しているうちにユズリハラの者たちが老いても元気であることな気付く。それは何故かと研究したくなった男は後に甲府市に病院を持つ医師となった男である。質素な暮らしと運動による長寿効果を示した棡原長寿村の名はその甲府市の医師と東北大学の医師が有名にしてしまったのである。
有名なところに楽していきたい…誰だってそう思うわけで道路が広げられ現在の県道33号と18号が出来たのである。(現在と比べると酷い険道)
外部から来るものに媚びようと店がコンビニになり食の欧米化が進行、ディーラーが車を売りに来て車社会が進行(車の普及で町に容易に行けるようになったこともあり)、それらによる運動不足と食生活の変化で長寿村棡原の名は立ち消えとなってしまったのである…
道が悪いかというとそうではないのだが、結果的にこの2路線は戦犯になってしまったのである。
ただ、最近は長寿ブームに便乗する形でほそぼそとマーケティングを行ったりしていますが…長寿学の元となった地の一つではあるので長寿村の思いは大切にされている。と信じたい…
最近になって山梨県道18号の拡幅がだいぶ行なわれており、険道から田舎道に格下げされそうな感じとなっている。現在は棡原地区内で拡幅工事を行っている。